2023.10.27
一日の寒暖差が大きくなり秋が深まっていると感じる今日この頃です。
道のコスモスがキレイに咲いていました。
我が家は新聞を取っていないのですが、
私が気になりそうな記事やコラムがあると母がそこを
抜き取って届けてくれます。
先日は読者投稿コラム「女の気持ち」のページを
持ってきてくれました。
今回は15年務めた会社を辞めた女性の投稿でした。
その方の退職理由は不登校の娘に寄り添い、
向き合うためと書かれていました。
我が家の長女は去年学校に行けない時期があり、
今年はとても人見知りの双子の娘が私から離れず
学校に行き渋り、毎朝教室まで送り届ける生活が
続いています。
娘と通学路を歩きながら、この時間は娘達と向き合う
時間なんだと当初は気持ちに折り合いをつけていましたが、
ある時本当に向き合っているのは娘ではなく自分自身
なのだと気付きました。
子供達との接し方はこれで良かったのかな、
私の子育てはこれで合っているのかな・・・。
そもそも私って小学生の時どんな子だったんだろう・・・。
自分自身の過去と向き合うことで娘達の気持ちを
受け入れていくことができたのです。
そして、もう一つ思ったことは、
余裕が無くなると、何で私だけが…と思いがちですが、
周りを見渡すと沢山の人達に助けられてる、ということ。
毎朝校庭に立っていて、「今日もよく来たね。」と
声を掛けてくれる校長先生を始めとした先生方。
毎朝登校を見守ってくれている地元の方々。
先日通学路で
「大丈夫よ。お母さんがいなくても、
ちゃんと行けるようになるから。だって、
おねぇちゃんも一人で行けるようになったじゃない。」
と声を掛けてもらった時、どれだけ心が温かく
なったかわかりません。
先生はいつか他の学校に移動してしまうだろうし、
その地域の方だって見守りを辞めてしまう日が
来るかもしれない。
こんなに手が掛かる娘達もいつかは私の手を振り払って
登校する日が来るかもしれない。
毎日そこにあるものって、当たり前だけど当たり前じゃない。
秋晴れの空を見ながらそんなことを思いました。